知りたいことを学ぶのが楽しめるようになった気がする
黄昏流星群を読んでたらこんなおじさん数学教師がいた。
『黄昏流星群』より
高校の教師は飯食うためにやってるだけで、それ以外の時間は数学の未解決問題を解くことに使っている。
この人にとってはそれが何よりも楽しいと感じるらしい。
自分から見たらそれは勉強で、勉強しててそんなに楽しいって羨ましいなあと、
ちょっと前の自分なら思ってた。
勉強=努力?楽しい?
でも最近になって、コンピュータの勉強をするのが面白く感じられるようになってきた。
もっと詳しくなりたいと思う欲求があって、朝からパソコンとにらめっこする。
その時間が楽しい。
前では考えられなかった。勉強=努力するもの、という意識ばかりだった。
その「努力」っていうのはすなわち我慢のことで、辛いけど勉強しなければならないんだ、と小学生の頃からずっと思ってた。
まあ学校の勉強はそうかもしれないけど、大学生になってもその思考の癖は変わらず。
だけども、本当に最近だけど、勉強することが楽しくなった。どんどんのめり込んでいってる。
なんでそう変わったかって言うと、もともと今研究してることに好奇心はあったから、っていう前提はあるんだけど、
『知りたいことを勉強していて「つまらない・つらい」と感じることもある。』ってことを受け入れられたからだ。
勉強を楽しいと感じたことはあまりなかった
前は、もし自分がしたい勉強をしているとしたら苦しいことなんか全然なくて、楽しいって感じるばかりで、
よく聞く「努力を努力と感じない」状態になるんだろうなーって思ってた。
だから、私が本当は学びたいことを学んでいても、ちょっと理解できなかったりして嫌な気持ちになると「本当に勉強したいわけじゃないのかな」という考えになった。
でも、そういう気持ちは素直に受け入れるというか、”あるがまま”にして、取り除こうとかせずに知りたいことを学び続ければいいんだ。って気づいた。
そしたら、理解できなかったときが「悔しいな、でも理解したいな」に変わった。
で、理解できたらちょっぴり嬉しい。
次はこれが知りたい。その繰り返しだ。
負の感情を避けようとしないこと
あとは、ちゃんと集中できるかどうかが大事かな。
「知りたいから、真剣にやるぞ」って気持ちだと楽しい。没頭できる。
「理解できなかったら苦しいし嫌だな、それは避けたいな」って気持ちで逃げ腰だと、集中できない。
嫌だな、って思っててもいいし、実際そういうときもあるけど、
避けようとか思わず、嫌なものは嫌なもので認めて、嫌がる。
好きなことをやっててもそういうときってあるよね、って考えて、また進む。
これって人によってはわざわざ考えなくてもいいことかもしれないけど、自分は言葉にして意識したら少し変われた。
もしかしたら同じ人がいるかな?って思う。